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にゃんたこの写真

にゃんたこ

Youtuber

チャンネル登録者36.7万人。エッセイ調のテキストをのせた動画投稿で人気を博しており、エッセイ『世界は救えないけど豚の角煮は作れる』(KADOKAWA)も出版。エッセイは発売から3日間Amazon書籍ランキングで連続1位をとり、1ヶ月で2万部以上を売り上げ、即重版が決まるなど若年層を中心に支持を得ている。

ページが日に焼けてぼろぼろになった『砂の女』の背表紙にべったりと貼りつけられた、ブックオフ105円の値段シールを、綺麗に剥がそうとして、諦めた。

シールの耳を少しずつ引っ搔いているうちに、人差し指の爪の間に、ほとんど粘着力のなくなった白いテープのカスがどんどん溜まっていって、それがどうにも不愉快だったのだ。

思えば、こうして色んなことを諦めてきた気がする。やりたいことをやり遂げて得られる達成感と、やりたいことをやり遂げるまでの過程で生じる色んな煩わしさを天秤にかけては、いつも、今の自分が楽になる生き方を選択してきた。そういう自分の生き方を悪だと思わないが、明らかに善ではないということはわかる。

わかっているけどやめられない、というのが、人間の性であるんだろうか。

背表紙に残った汚れたシール跡を眺めながら、大学時代に少しだけ付き合っていた恋人のことを思い出した。

***

「俺、古本屋って行ったことないなあ」

私の部屋に乱雑に置かれた安部公房や大江健三郎を見て、彼はぼそっと呟いた。

彼はいわゆる”いいとこの子”だった。親が心配するから、という理由で、彼はアルバイトをしたこともなかったし、髪の毛を染めたこともなかった。実家は和菓子屋で、兄弟はいない。私立の付属中学高校を何の問題もなく卒業し、そしてそのまま何の問題もなく、私と同じ大学にエスカレーター式で入学した。

生活費を賄うために週六でアルバイトをしている私(しかも、全頭ブリーチを経たキシキシの金髪女)と、そんないいとこの子である彼との共通点はほぼ皆無と言っていいほどだったが、一つだけ、私たちは二人とも、映画が好きだった。

『俺たちに明日はない』『卒業』『真夜中のカーボーイ』『タクシードライバー』『イージーライダー』『狼たちの午後』。デートのたびにレンタルビデオ店に行って、アメリカンニューシネマのコーナーを片っ端から借りて見た。

たとえば買い物に行ったり、水族館に行ったり、一般的に想像できるデートらしいデートというものはほとんどしなかった。

「ブックオフ寄っていい?」

「何買うん?」

「安部公房の『笑う月』って本読みたいねんけど、どこにも売ってへんくてさ、ブックオフならあるかなって」

「めちゃくちゃ偏見やねんけど、なんか、金髪の子がブックオフで安部公房漁ってたら、ちょっとおもろいな」

「だって大学の本屋にもないねんもん」

「俺、そういえば授業でちょっと読んだで、『砂の女』」

黒いリュックから講義のレジュメを取り出しながら、彼が言った。

「うわ、出た。きもくて好きや、『砂の女』。どうやった?」

「浅い感想言っていい?」

「良いよ」

「これが文学かあ、って思った」

「浅いなあ」

「あとさ、読んでるとき、あれ思い出した。あれ、『アラビアのロレンス』。見たことある?」

「知ってるけど、見たことないな」

「でっかい白い砂漠をさあ、ロレンスがラクダに乗って走るシーンがあってさ、それがめっちゃ壮大な感じでさ、良いねん」

「酒に合いそう?」

「ワインとか良さそう」

こんな風にくだらない話をしながら、私たちはブックオフに向かった。

今はもうつぶれてしまったのだけど、私たちの通っていた大学からバスで二十分ほどの距離にかなり大きなブックオフがあって、CDとか、DVDとか、アイドルの写真集とか、そのブックオフに行けば、欲しいものはなんでも見つかった。

いつ行っても人で溢れていて、特に学生が多かった。お金はないけど趣味を楽しみたい、私のような貧乏学生にとって、ブックオフは当時、どんなテーマパークよりも魅力的なものだった。『壁』『他人の顔』『燃えつきた地図』『無関係な死』『カンガルー・ノート』『密会』。安部公房の小説たちのほとんどを、このブックオフで買いそろえた。

古本屋に行ったことがない、という彼は、初めてのブックオフの店内を、とても興味深そうに歩き回っていた。

私はそんな彼の様子を見て、なぜか少し誇らしい気持ちになった。ほら、ブックオフってすっげー面白い場所だろ、と。

「見て!」

莫大な量の本の中から目当ての本を血眼で探していた私に、隣から弾んだ声が飛んできた。

「ん?」

「これ100円で売ってた!」

新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃぎながら、彼は私の目の前に『真昼の決闘』のDVDを差し出した。

「こないだ見たやつやん」

「レンタル料金と同じ値段やで! すごくない?」

「すごいよブックオフは」

「古本屋なめてたわ」

私は作家のア行のところから安部公房の並んだ棚を見つけ、まだ読んでいない本を何冊か買うことにした。目当ての本はなかった。

会計を済ませて、私の住むワンルームに向かった。背の低い私と、わざわざ同じ歩幅で隣を歩く彼が、私の手を握ろうか握るまいかとしている間に、空を包む藍はどんどんと色を濃くしていく。街灯のオレンジが視界の端でちかちかと揺れて、なあんか、ブックオフの看板の色みたいだな、とぼんやり思った。

***

「発注書、日付が昨日になってるのと、個数の書き間違い。そんなに難しいこと言ってるか? 僕は」

「すみません。すぐ直します」

社会人になってから数か月、すみませんも言い慣れたもんだな、となんだか虚しくなる。オフィスの入り口に置かれた、無料のコーヒーマシーンを使うことも躊躇するくらいに、会社に馴染めないでいた。

直属の上司は歳が二十も上で、二人で営業に回る時間は多いのに、悲しいことに、話題はすぐに尽きてしまう。昨日上司がなんのテレビを見たとか、晩御飯に何を食べたとか、正直、全然興味ない。営業先に向かう車の、煙草くさい助手席に乗っている一時間が、ほとんど永遠みたいに感じた。

車の免許を持っていないのになぜか営業職で採用された私は、近場の取引先を任されることが多かった。移動は自転車か電車、営業の帰り道はいつも遠回りをした。

上司にひどく怒られた時なんかは、必ず定時で退社する上司と顔を合わせないように、一時間ずらして会社に戻った。その一時間の暇をつぶすのは、だいたい、ブックオフだった。

決して優良な会社員ではなかった私は、心の健康を保つために必要不可欠だったこの「さぼり時間」で、なんと、『MAJOR』をほとんど読み切ってしまった。「父親のようなすごいピッチャーになる」という夢をまっすぐ追いかけて情熱を絶やさない吾郎の姿に、時には涙して、それから、たくさんの勇気をもらったりした。

(もちろん立ち読みはよくないことだけど、後に全巻セットを購入するに至ったので、これを免罪符とさせていただけるでしょうか)

黒いパンプスに、黒いスーツ、黒髪のショートボブ。それから手には、読み古されて表紙がざらついてる『MAJOR』。

過去にすがりたいわけじゃないけれど、キシキシの傷んだ金髪ロングヘアをなびかせて、公園のベンチで缶コーヒーをお供に、百円で買った安部公房をひとしきり読み漁っていたあの時は、何でだろうか、今よりももっと自由だったように感じる。

あの時よりもお金があって

あの時よりも時間があって

あの時よりも大人になった。

なのに、自分が社会の一部だと、社会の一部にならなきゃいけないと強く認識した途端に、まるで砂時計の中に閉じ込められたみたいな気分になる。

決まった速度で頭の上から落ちてくる砂を全身にかぶって、呼吸をするたびに、ざらざらした砂の粒が口の中に流れ込んでくる。その砂を自分の足元に唾と一緒に吐き出して、だけど砂時計がひっくり返ったら、吐き出した砂がまた頭の上から落ちてくる。それをずっと繰り返してる。

「どうしてこんなところにいるんだろう」何度も湧き上がる疑問と、どうしても拭うことのできない違和感も、厚い砂がすべてを覆い隠すのだ。

***

三十歳。会社勤めをやめて、フリーランスになった。会社を辞めたタイミングで、住んだことのない都市に引っ越した。漫画の『NANA』に出てくる主人公みたいに、ギター一つで、なんてかっこはつかなかったけど、持っていたものはほとんど捨てて、新しい場所で新しいものを買いそろえた。大学時代にブックオフで必死に集めた安部公房も、大江健三郎も、三島由紀夫も、ほとんど捨ててしまった。古いものを捨ててしまうことで新しい自分になれるわけじゃないのに。それでも、なんとなくそうしたかった。

大きく変わった環境の中、めくるめく日々を過ごし、新品の本棚に、新品の本を少しずつ増やしていった。古本で読んだことのある本も、気に入っていたものは新品を買いなおしたりした。財力こそあれば身の回りの物を一新できる、この事実は私にとって、一種の救いみたいなものとして、生きる支えになっている。

でも、その中に、捨てられなかった一冊がある。背表紙に汚いシール跡を残したままの、『砂の女』。私の人生の聖書。ブックオフで見つけた聖書。

捨てられなかった、というよりは、捨てる気がなかった、のほうが正しい。新品を買いなおす気にもならなかった。

ドッグイヤーをしてるページを開くと、ある箇所に鉛筆で線が引いてある。

”労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働を乗り越える、その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです”

やりたいことをやり遂げて得られる達成感と、やりたいことをやり遂げるまでの過程で生じる色んな煩わしさを天秤にかけては、いつも、今の自分が楽になる生き方を選択してきた。

そういう自分の生き方を悪だと思わないが、明らかに善ではないということはわかる。だけど、なだらかに変わってきた。会社に勤めて、毎朝うるさいアラームに起こされて、上司に頭を下げて、たくさんのやりたくないことをやり遂げてきた。

どれも本当にやりたくないことではあったが、やり続けることで「やりたくない」という気持ちに強制的に向き合わされた。「やりたくない」という気持ちは「やめる」という行動に至った。

それから、もう一度、自分のやりたいことに向き合ってみて思う。

やりたいことをやり遂げて得られる達成感、ある意味の、自己肯定のエネルギーよりも、やりたくないことをやり遂げる、その自己否定のエネルギーこそ、自分を作り上げていく「価値」なのかもしれない、と。だからこそ、前よりずっと私らしくいられる、新しい環境に飛び込んでこられた。

やりたいことをやり遂げるまでの過程で生じる色んな煩わしさ、つまり、やりたいことをやり遂げるまでに生じるやりたくないことだって、何度もやり遂げてきた。うん、ちょっとづつ前に進んでるのかも。ちゃんと大人になってるのかも。

やりたいことはありすぎてまだ分からない。でも、やりたくないことは分かる。今はそれでいい気がする。

毎日は時を引き連れて、めまぐるしく変化していくのだ。周りも、私も。見た目も、心も。やりたいことも、やりたくないことも。それでも、古本屋で出会った一冊が、私の心の背骨みたいなものになって、私を立たせてくれている。私を私でいさせてくれている。

ずっと生活と共にあるブックオフ。

青春のためのブックオフ。

現実逃避のためのブックオフ。

私を前に進ませてくれるブックオフ。

感謝を込めて。

砂の女の裏表紙の写真
著:安部公房 新潮社

TEXT:にゃんたこ
PHOTO:にゃんたこ

※コロナウイルス感染拡大防止の為、現在は立ち読みをご遠慮頂いております。

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