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藤谷千明の写真

ライター

藤谷千明

1981年、山口県生まれ。工業高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後職を転々とし、フリーランスのライターに。主に趣味と実益を兼ねたサブカルチャー分野で執筆を行なう。著書に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)、共著に『すべての道はV系へ通ず。』(シンコーミュージック)、『水玉自伝 アーバンギャルド・クロニクル』(ロフトブックス)など。

文化的なものから消えていく。そんな“地方”に生まれて

「差」の話がインターネットでバズっている光景は、よく目にします。貧富の差やジェンダーの差、恋人がいるか、結婚しているか、子供がいるか、そうでないかの差。そして、地方と都会の差。ブックオフにしても東京の店舗と地元の店舗ではラインナップが全然違う。正直、東京に来て最初に驚いたことのひとつには「ブックオフの品揃えがめちゃめちゃいい」があります。でも、品揃えがあまり良くないブックオフが、私を育ててくれたんです。

どんな田舎から出てきたんだよって感じですが、あくまで私の体感的には「ふつうの田舎」でした。私が中学生の頃の人口は4,000人程度、電車だって多いときは30分に1本は来るし、無人駅ではなかった。品揃えはさほど良くないもののスーパーもある。生活するにはそこまで不便のない町だったと思います。ただ、本屋はありませんでした。正確には、私が小学生の頃に駅前の商業施設に入っていた本屋が潰れてしまったのです(書きながらGoogleマップで確認してみたところ、今はその施設自体がなくなり、更地になっていました)。

私は4人姉妹の次女です。両親は悪い人ではないのですが、計画性があまりないようで、家の経済状況はあまり良くありませんでした。そりゃあ4人もいたら大変ですよ。だから自然と、安価な娯楽である漫画が大好きになりました。

約35年前の藤谷家の家族写真。藤谷さんは写真左上

姉や妹は『りぼん』や『なかよし』を、私は昔から妙にニッチなものが好きだったので『ぴょんぴょん』を毎月購入していたのですが、その本屋がなくなってしまったのです。これは由々しき事態。駅の売店でも雑誌の取り扱いはあったものの、さすがに『ぴょんぴょん』は置いてありませんでした。校則で、本屋のある隣の市へ行くには保護者の同行が必要だったけれど、父は仕事でほとんど家におらず、母は自動車免許を持っていませんでした。

さて困ったな。漫画を手に入れるためには、たまに隣の市に連れて行ってもらって駅前にある小さなデパートで買うか、廃品回収に古紙として出されている漫画を持って帰るか(多分犯罪、多分時効)、友達の家に行って読むか、それしか方法がありませんでした。

小学校で「アルバムに自画像を描く」というお題を出され、描いたイラスト。
『きんぎょ注意報!』に影響を受けすぎたタッチと、広すぎる肩幅がポイント

テレビのチャンネルはNHKと民放2局しかなく、アニメの『ドラゴンボール』は3ヶ月遅れで放送され、『きんぎょ注意報!』はそもそも映らない。漫画やアニメといったメジャーなエンターテインメントすら思うように手に入らない環境。これはかなりのフラストレーションでした。
映画館ですか? 隣の市にはあったけれど、やっぱり物心つくかつかないかの頃に潰れました。文化的なものから順番に消えてく。過疎化というのはそういうことなのでしょう。世の中は変わっていくものです。

学生時代、ロードサイドにできたブックオフ。青と黄色の内側には欲しいものが全てあった

そんな私は中学2年生の頃、ヴィジュアル系バンドに出会います。90年代後半に全国的に一大ブームを起こしたヴィジュアル系バンドですが、94年当時の田舎の中学校では、まだまだニッチな存在でした。音楽室の机に誰かがヴィジュアル系のバンド名を掘っているのを見つけて「この学校にもヴィジュアル系を好きな人がいるのかな」とドキドキしたり、遠方でやっているラジオ放送をアンテナを右に左に向け試行錯誤してチャンネルをあわせたり。 LUNA SEAや黒夢の新譜が出れば自転車を漕いで十数km先にあるCDショップに買いに行ったりもしました。
よくいる感じの田舎のヴィジュアル系ファンをやっていた感じです。とはいえ、お小遣いをやりくりするには限界があるし、かといって中古CDショップのある街に行こうとすれば電車賃が往復千円くらいかかる。苦しい時代でした。

ヴィジュアル系にハマった中学生時代の筆者。完全にスレた目をしている

高校生になり、隣の市の学校に自転車で通うようになりました。駅前の新刊書店に行けるようになったことも嬉しかったのですが、何より大きな事件だったのは、駅裏にある大きな道路沿い、いわゆる「ロードサイド」でブックオフと出会ったことでした。

言い方は悪いですが、ほったて小屋みたいな簡素な建物に黄色と青の派手な看板。気になる。自転車通学だったので下校中に入ってみると、高くて手が出なかったヴィジュアル系バンドの写真集やヒストリー本、彼らがリスペクトするパンクやメタルバンドのCDなど、「私のほしいもの」がだいたい全部ある。テンションがアホほど上がりました。それに漫画もたくさん置いてある。数だけじゃなくて種類も多くて、駅前の本屋では扱ってないようなニッチなオタク系の漫画もありました。私の知っている古本屋と違って気軽に立ち読みもできる。冗談抜きでほぼ毎日ブックオフで立ち読みをする(そしてたまに買う)日々が始まりました。

当時ブックオフで出会った写真集。CD含め、本当はもっとたくさんあるのだが、リリース年が古かったりインディーズレーベルから出ていたりなどで許諾が取れず、掲載できるのはこれだけ。
『黒夢むちゅうゆめをうらなふ』(宝島社)

「友達はいなかったのか?」と聞かれると「はい、いませんでした」と答えるほかありません。うっかり中学校の同級生がいない学科に進学してしまい、高校デビューに大失敗したため、「いじめられているわけではないけれど、なんかずっと浮いてる人」を3年間やっていました。休みの日に一緒に遊ぶ人もいないので、週末や夏休みはすべてアルバイト(時給600円で12時間皿洗い。今考えると法的にどうかというレベル)に充て、反抗期と言えばせいぜい「学校をやめて代々木アニメーション学院に通いたい」とゴネたくらい。そんなこんなで、キラキラした青春とは無縁、とはいえグレたり引きこもるわけでもなく、学校が終れば粛々とブックオフに通う日々を過ごしました。

どのくらいのレベルのブックオフ常駐勢だったのかを表すエピソードもあります。
高校を卒業した翌年の夏、帰省して地元のコンビニで立ち読みをしていたところ、母校の制服を着た男子生徒に「すみません、よくブックオフにいましたよね……」と声をかけられました。はい、いました。めちゃめちゃいました。フィクションだとここでなにかいい感じの交流が芽生えるところですが、とくに話は続かず、彼は去っていったように記憶しています。そもそもここで何か展開させられる積極性があったら、たぶんブックオフに常駐してませんからね、お互い。居場所がないけどグレる選択肢もない消極的な人。当時、 ブックオフはそういう人の受け皿だったと思います。思春期の私の居場所は学校でもライブハウスでもストリートでもなく、ブックオフでした。

上京。コンテンツの溢れる街で、それでもブックオフを探した

そんな、ロードサイド生まれブックオフ育ち、友達はあんまりいない私も、「実家に戻りたくない」というシンプルな理由で上京することになります。冒頭でも申し上げましたが、東京のブックオフは地方のそれと品揃えなど比べ物になりません。いや、冷静に考えたらブックオフ以外の品揃えも圧倒的な差があるんですけど、人間、知ってるもののほうが「差」を感じやすいじゃないですか。上京したばかりの頃はお金もなかったので、好きなバンドのライブに行くだけで精一杯。それ以外の流行りの場所には行けず仕舞いでした。だから今でも「東京のおしゃれで有名なスポット」を正直あまり知りません。

東京で出会ったヴィジュアル系バンドファンの友達との、
「○○駅の近くにあるブックオフはヴィジュアル系のCDが充実してるよ」
「やったー、そこならチャリで行けるじゃん!」
みたいなやりとりも、それはそれでとても楽しかったのですが。

2010年12月25日に東京ドームで開催されたLUNA SEA(この日は「LUNACY」名義)のライブ、「LUNACY 黒服限定GIG ~the Holy Night~」での筆者

あらゆるものは変わっていくが、「ブックオフに育てられた私」は変わらない

ブックオフしか知らず、いわゆる「文化資本」は中の下よりも低いと感じてきた私ですが、 紆余曲折を経てライターになりました。
かつてカルチャーにヒエラルキーがあった頃(あったよね!?)、ヴィジュアル系バンドなどはあまり顧みられるものではありませんでしたが、そのあたりのカルチャーが好きな書き手が当時は少なかったらしく「ヴィジュアル系好きなんです〜」とヘラヘラしていたら商業ライターの仕事が舞い込んできました。それが2007年くらいのことでしょうか。

それこそ、ブックオフがおしゃれな街にも登場するようになった頃ですね。銀座に巨大な100円ショップができるなんて考えられなかった時代です。この頃から良くも悪くもカルチャーのヒエラルキーが失われていったように思います。私にとっては結果的に良いことだったのですが、そうでないと感じる人もいると思います。たとえば、東京に出て最初に付き合ったおしゃれな街に住んでいる彼氏は、その街にブックオフができることを心底嫌がっていました。価値観が合うわけもなく、3ヶ月で振られましたけど。
それはさておき、どんどんロードサイド的なお店がおしゃれな街に進出していき、もはやユニクロが銀座にあることすら不自然に思わなくなりました(あの元カレはそれをどう思っているのだろうか……)。そういう時代だから、ブックオフ的な素養しか持たない自分が物書きとしてやっていけているのかな、とも思っています。
なんだかんだで、2020年には自分名義の本も出版することができました。

藤谷千明『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)
「お金がない、推しのグッズは増える、孤独死は嫌だ!」と意見の一致したお互いの本名すら知らない
オタク女子4人がルームシェアをするに至るまでと、その日々を綴った日常系エッセイ

そしてある日フラッと立ち寄ったブックオフで、自分の本を見つけました。いきおい、「やったーー! ブックオフに私の本があるーーー!!」と故郷に錦を飾る気持ちでガッツポーズをしました。いや、喜んでいけないのは知っているのですが。
そもそも、ブックオフで買った場合、当然私には1円も入らない。まあ、それはいいんですよ。何よりこの一冊を作るために力を尽くしてくれた編集さんや、出版社の営業の方、他にもさまざまな「本を出すこと」に関わってくれる人にも1円も入りません。それもわかってるんですけど、昔の私のような「ブックオフにしか居場所がない人」の手に届くかもしれない……と思ったりもします。
一方で、田舎にだって、昔と比べて今はいろんな選択肢があります。ほとんどのテレビアニメはネットで配信されていますし、手軽に読める漫画アプリもある。Amazonだって中古の本を扱っているし、メルカリもある。地元で暮らす甥や姪たちも、楽しそうにNetflixでアニメやドラマを楽しんでいます。あんなに通い詰めた地元のブックオフもその役目を終えたのか、今はもうありません。だから昔と今を同じ尺度で考えてはいけないかもしれません。繰り返しますが、世の中は変わっていくものです。

とはいえ、私がブックオフに育ててもらった事実は変わらないですし、私は今でもブックオフに行きます。ブックオフでしか出会えない本やCDもありますし、私にとっては必要な存在です。

「新古書店が街の書店を滅ぼした」という議論もありますが、私の町では「街の書店」が失われる方が先でした。豊かなカルチャーに囲まれていたであろう都会育ちの人がそういう話をしていると、「街の書店がのうなったのが先じゃしな(←方言)」とモヤモヤした気持ちになる……こともあります。

エンターテインメントを必要とする人間にとっては新刊書店も図書館も新古書店も古本屋も……どれも大切だと思います。だからこそ、できることなら全部生き残っていってほしいんですよ。

TEXT:藤谷千明
PHOTO:藤谷千明

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