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三宅香帆の写真

三宅香帆

書評家・作家

1994年生まれ、高知県出身。2017年大学院在学中にデビューし、批評・エッセイ・インタビュー等の執筆業、文章の書き方や小説の読み方を伝える講師業、メディア出演を中心に活動している。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)、『妄想とツッコミでよむ万葉集』(大和書房)、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』(笠間書院)『女の子の謎を解く』(同)、『それを読むたび思い出す』(青土社)がある。

ブックオフに育てられた書評家

28歳、女性。高知県出身。職業、書評家。

これが私のざっくりとしたプロフィールである。いたって凡庸。ただ一点、書評家、という職業が少し珍しいことを除けば。

書評家という肩書きの通り、私は読書しその内容を評することによってお金をもらっている。

本を読むことがお金になるって一体どんな世界なんだよ、世の中優しすぎるだろう、とたまに思う。私はずっと本を読むことが好きだった。というか本を読むことが人生の主な楽しみだ。昔からそう信じて疑っていない。

本を読んで、漫画を読んで、育ってきた。大学にも本の読みかたを学びに行って、うっかり博士課程まで進んでしまった。だって本を読むことがそのまま勉強になるなんて楽しすぎたから。

しかしなんで自分はこんなに本を好きになったんだろう。なんでこんなに、本を読むことを人生でいちばん重要事項に置いているのだろう。

そんなことを考えた時、ふと浮かんできたのは、地元のブックオフの風景だった。

……書評家という出版業界の片隅で食べさせてもらってる身として、ブックオフが読書好きになった源流です! なんて言ったら怒られるのだろうか? でも本当だ。実際に、ブックオフがなかったら私はこんなに本や漫画を乱読する人生を送っていない。

本棚と本
様々なジャンルの本が本棚にびっしり!

文化未開の地で、ブックオフは田舎の文学少女を救った

本や漫画をジャンル関係なく読み尽くす人生は、高知のブックオフから始まる。

そもそも高知県というのは、本州から瀬戸内海×四国山地という二重の壁に阻まれ、物流が滞る地域である。新刊書籍は2日遅れて本屋に届く。『りぼん』は1日遅れ、『LaLa』は3日遅れで届いていた。

ちなみに余談だが、この仕事をし始めた頃、出版社の営業さんに「高知県、今まで営業に行ったことなかったんですが、三宅さんの本を出してはじめて行きましたよ!」と豪快な笑顔で言われたことがある。それくらい「本」と「高知」の距離は、遠い。

が、そんな文化未開の地・高知にも、ブックオフはちゃんとあった。

私の場合、中高時代は家から自転車で5分のところにブックオフがあったので、よく学校帰りに立ち寄っていた。なんせブックオフはいくらでも立ち読みを許してくれる。本も漫画も立ち読みしたうえで気に入ったものを買うことができる。さらには安い。学生でも105円の文庫本を買うことはできた。

私は今も昔も「気になった作家の本をとにかく一気に読む」癖があるのだが、これは確実にブックオフがあったからこそ生まれた習性だ。その作家の頭の中を自分に流し込むように、とにかくぜんぶ読む。ぜんぶ読むと、なんとなくその作家のことが分かってくる。一作品だけではだめで、とにかくぜんぶ読むことが重要だ。この癖は後々書評家をやるうえでもだいぶ役に立っている。ブックオフさまさまである。

高知の新刊書店では、作家の全作品なんてほとんど置いてなかった(売り場の面積からして仕方のないことだが)。しかしブックオフには、案外有名作家の有名じゃない過去作品も売っている。

部活のない休日、家から少し遠いが大きいブックオフにわざわざ自転車を漕いで行って、好きな作家の絶版本や古い漫画の続刊を探したこともあった。今思うと、中高時代のあの情熱はなんだったんだ……と遠い目になるが、「大きいブックオフならあの絶版本も置いてあるかも!」という期待が私に自転車を漕がせた。田舎の文学少女、ブックオフのおかげで運動不足まで解消していた。

待ち合わせは「いつものブックオフ」

そして無事京都の大学へ進学してからも、やっぱりブックオフにはお世話になった。むしろ大学では思う存分本が読みたかったので、お金のない学生にとってブックオフはどれだけありがたい存在だったか!

急に具体的なローカルトークをするが、京阪電車の三条駅のビルは1階も2階も3階もブックオフで埋まっている(京都に住んだことのある人ならきっと分かってくれるはず)。はじめて行ったときは「こんな大きいブックオフがこんなにアクセスいいところにあるの!?」と心底感動した。ちなみに「駅ビルの地上階が全部ブックオフ」、後にも先にも京阪三条駅しか見たことがない。

京都三条駅のブックオフ
BOOKOFF 京都三条駅ビル店。写真だと見えづらいが、よく見ると左側に見える建物の1~3階にブックオフがあるのが分かる

学生時代、河原町で遊ぶ時や飲み会をする時の待ち合わせは、大抵三条のブックオフだった。だってブックオフならいくら相手が遅れてきても問題ない。本を読んで買ってれば時間がすぐ経つ、というか本を読んでいて連絡に気づかないことすらあった。大学の友人は時間にルーズなことが多かった気がするが、ぶっちゃけブックオフがあったから気にしたことがない……。いや私が遅れることもあったんだけど。

三条駅の前には「土下座像前」と呼ばれる待ち合わせスポットがあった。サークルの飲み会で「土下座像前で集合」と言われたときも、少し早く三条駅に到着し、あえてブックオフに寄った。すると、全く同じことをしている友人や先輩が大抵いる。が、たとえ目が合っても集合時間前まではほぼ喋らなかった。おお、と手を振って終わる。なぜなら待ち合わせ時間まではお互い本を物色する時間と決めているから。

土下座像
高山彦九郎 皇居望拝之像、通称「土下座像」

今書いていて気づいたが、ブックオフに行くために待ち合わせしていたのか、待ち合わせのためにブックオフに行っていたのか、もはやよく分からなくなってきた。だって三条駅のブックオフ、品揃えやたら良かったんだもん。小説や漫画はもちろんのこと、人文書や画集なんかも揃ってて。あれは学生の多い街の特権だったのかもしれない。おかげで高校時代まで見向きもしなかった、新書や海外文学にも目が向くようになった。

結局、あのころブックオフで大量に本と漫画を買い、売れ筋の本も絶版本もマイナーな本も含めて雑多に読んだ経験が、今の自分を支えている。ちょっと笑ってしまう。ただ読みたい本を読んでいただけだったのに。友達と喋らず本を物色した甲斐があったというものだ。

京都の川
三宅さん思い出の街、京都

ブックオフユーザーだからこそ磨かれる「第六感」

私が書評家になったのは、大学院生のときに50冊の本を紹介する書評の本、『人生を狂わす名著50』を出したことがきっかけだった。その50冊のなかには、ブックオフで出会った、数十年前に出版された昔の本も含まれていた。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』(中公文庫)という文芸批評だ。

「若いのになんであんなに古い本を読んでるの?」と読者に言われてはじめて、自分の幸運を知った。たぶん、書店で新刊だけ買う生活をしていたら、自分は書評の本を出すことなんてなかった。書店のレコメンドする本だけでなく、自分でブックオフの雑多な棚から読みたい本を探し出す生活をしていたから、人と違うものを読んでいて、私は書評家という職業に就くことになったのだ。

書評家として、あのころのブックオフみたいに、自分もまた誰かが読みたい本に偶然出会う機会を作れたらいいな、とよく思う。私は書店じゃないけど、本に触れるきっかけを作ることはできるはずだ。

たとえばブックオフにたくさん通っていると、なんとなく自分の好みの本を見つける第六感が磨かれてくる。ブックオフユーザーにはこの第六感のことが分かってもらえる気がする。だってブックオフは私に本を薦めない。そのなかで私は好みの本を探さなくてはいけないのだ。その体験は今の時代、たぶんすごく稀少なことであるように思う。
私は今も、売れ筋の本以外の棚で、読みたい本を探す。そういう行為が書評家として大切だろうと思っているから。

そしてその源流は、あの地元でこうこうと光る明るいブックオフまで遡る。

そういえば、しばしば「古本屋があるから、新刊を売る書店に人が来なくなる」と言う人っているよなあ、とSNSを見ていると気づく。

まあ気持ちは分かる。本を出す側になってから、ブックオフで自分の本を買う人がいても、そのお金は私に還元されないのだ……という事実をかみしめる。

でも、私は逆にブックオフがあるからこそ、新刊を売る書店に人が来るようになるんじゃないかと思っている。

だって自分自身が、ブックオフがなかったらこんなに本の世界にどっぷり浸かっていなかったから。

特に地方のような、新刊書店の面積をそんなに広くできない土地で、ブックオフがあることが、どれだけふつうの人たちの本を手に取る機会に貢献しているか。ブックオフは本を手に取る間口を広げてくれる存在だ。

お金のない時に古本を買って読んだ人間は、ちゃんと新刊も買うようになる。そもそも読書人口が減っている時代に、こんなに安く本を手に取る機会を作ってくれるブックオフまでなくなったら、マジで誰も本に触れなくなるよっ!

地方にとっての希望、ブックオフ

地方にいても、近くに大きい書店がなくても、本をじゅうぶん買えるお金がなくても、それでも本という名の文化に触れることはできる。偶然好きな本を見つける体験を得ることはできる。それはどう考えても希望という類のものだ。

ブックオフがあることが、田舎の文学少女だった自分の数少ない人生の楽しみだった記憶が、今も私を支える。きっと同じような子が今も日本のどこかにいるだろう、と思うから、私は今日も書評を書く。

そんなことを考えていると、なんだか最近帰省するたび、地元のブックオフをもはや同志のような気分で見つめてしまうのだ。

TEXT:三宅香帆
PHOTO:三宅香帆

※2022年7月現在、100円コーナーの書籍等は110円(税込)です。また、価格・商品の取り扱いは店舗によって異なります

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