「幼い頃、ブックオフは自力では絶対にたどり着けない特別な場所だった」と話すライター・エッセイストの生湯葉シホさん。「ブックオフで必死になってなにかをさがした経験」について、思い出とともに綴っていただきました。

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生湯葉シホ

ライター・エッセイスト

フリーランスのライター/エッセイスト。1992年生まれ、東京在住。インターネットで文章を書くこと、読書、香水などが好き。ノスタルジーを感じさせる優しく丁寧な文章で、多くの読者を魅了する。Webメディア『DRESS』『大手小町』などでエッセイを連載中。

「よし」と父が不意に言うと緊張した。昼過ぎからつけっぱなしになっているテレビのワイドショーが終わり、『刑事コロンボ』あたりの再放送も漫然と見終わり、なんにもすることがなくなった日曜日の夕方。

多趣味な母と祖母は、休日を裁縫やら料理やら絵のレッスンやらに活き活きと充てていたけれど、これといった趣味がランニングしかない父はそういうわけにもいかず、いつも半笑いで午後の時間を過ごしていた。

暇でしかたない父の視線はぼんやりとリビングの宙を漂い、やがて諦めたように私のほうを向く。「よし」に続く言葉はたいてい、「ちょっと走ってくるか」か「ブックオフ行くか」のどちらかだった。

小学生の私は「ブックオフ行くか」を待ちわびていた。「走」という単語の断片が聞こえると、畳みかけるように「何分走るの?」「そのあとブックオフ行く?」と食いついた。

日曜日の父はなにせ暇なので、おおかた私に流されて「う~んじゃあ、そのあと行くかあ」と言ってくれるのだけれど、ときどき「いや、今日は『笑点』だな」というイレギュラーなパターンがあり、そうなると断固として私の願いを聞き入れてはくれなかった。

『笑点』パターンはだいたい月に一度くらいの頻度で訪れ、私はそのたびに地団駄を踏んだ。

なんでそんなに行きたかったのか

父が小学生の私を連れてしばしば訪れていたブックオフは、BOOKOFF 西台高島通り店。

東京都板橋区の北端、橋を渡ればすぐ埼玉県戸田市に入る、いかにも東京の郊外という雰囲気の大通り沿いにぽつんと建つ中型店舗だった。実家からそのブックオフまでは車で20分ほどかかったけれど、じつは都営三田線の西台駅からも徒歩3分でアクセスできる。

……といった情報はぜんぶ、20代後半になった現在の私がグーグルマップを頼りに書いていることだ。当時、漫画や音楽にしか興味のない内気な子どもだった私にとって、「車で20分ほど」はすなわち「自転車で行くにはしんどい遠さ」であり、「地下鉄の駅から徒歩3分」という情報にいたっては、恥ずかしい話、「完全なる盲点」だった。その頃の私にとってBOOKOFF 西台高島通り店は、「どこだかよくわからないけれど、ひとりで行くには遠すぎる場所」だったのだ。

BOOKOFF西台高島通り店

小学生の頃、家に保険の営業や新聞の集金の人が来て母と立ち話をしているとき、その様子を柱の陰から盗み見ては、なんか大人の話をしてる、と感じていたのをよく覚えている。それと同じようなくすぐったさや漠然とした未知の感覚を想起させるものが、私にとってのあのブックオフだった。

だから私は、父が連れて行ってくれない限り絶対にたどり着けない地としてのブックオフに行くチャンスを、そう簡単に逃すわけにはいかなかったのだ。なんでそんなにブックオフに行きたかったのかと言えば、小学6年生から中学生にかけて、私には探しているCDがあったから。

***

小学6年生の冬、私はロックバンド・ポルノグラフィティのファンになる。『サウダージ』や『メリッサ』といったヒットソングが入ったベスト盤がロングセラーになりつつあった2004年、同級生から借りたそのアルバムに衝撃を受け、人生で初めて「生のライブを観たい」「リリースされたCDをぜんぶ集めたい」と感じたのがポルノグラフィティだった。

ライブを観たいという夢はその翌年、あっさりと叶った。けれど、CDをぜんぶ集めるという夢のほうは難航した。というのも、当時はいまほどネット通販が世間に浸透しておらず、新しいCDは店頭予約をして買うものという意識が(少なくとも子どもの私にとっては)強かったのだ。

初めて大ファンになったバンドだから、「できる限り中古店ではないCDショップで、過去の作品を買うことで売上枚数に貢献したい」という気持ちがあった。とはいえ代表作ではないシングルやアルバムは、新品を扱うCDショップには入荷されないことも多かった。

幼いころから集め続けてきたポルノグラフィティのCDたち
幼いころから集め続けてきたポルノグラフィティのCDたち

そういうときにお世話になるのがブックオフだった。父が運転する車を降り、広い駐車場を通り抜けて店内に入ると、私は一直線に中古CDの「アーティスト名:ほ」の棚を目指す。まだ自分の手元にないシングルがそこに並んでいないかを確認し、アルバムも同様に確認し、念のためDVDの棚も確認する。

ときおり、お客さんが間違った場所に収納してしまったのか店員さんが並べてしまったのかわからないが、「アーティスト名:ま」のような予想外のところにしれっとポルノグラフィティがいることもあったから、すべてを見終わるまで緊張は解けなかった。

幻のCDを探して

緊張。当時の感覚を思い出そうとすると、その2文字が真っ先に浮かんでくる。ブックオフで? と思うかもしれないけれど、あの頃の私にとっては、彼らの過去のCDをすべて集めることが友人関係や勉強や部活よりもはるかに、なによりも大事だったから、ブックオフの棚との対峙には常に張りつめたものがあった。半年ほどの時間をかけてほとんどのシングル・アルバムは集められたものの、1枚だけどうしても手に入らないCDがあった。『ラック』だ。

それは2003年の冬に発売されたシングルCDで、10万枚という数があらかじめ決められた完全生産限定盤だった。私がファンになった2004年頃にはもう生産は終了しており、しかもコピーコントロールCD(CDのデジタルコピーを抑止するため、2000年代初頭に一部のレーベルが導入していた技術)という特殊な仕様だったので、新品のCDショップはもちろん、レンタルショップにすらほぼ置かれていなかった。

そうなるともう、頼れるのはブックオフだけだった。私にとって、あるときからブックオフはすでに「『ラック』を探すための場所」になっていた。

子どもの頃、ブックオフで探しまくったポルノグラフィティの『ラック』

父は飽き性で、立ち読みしたい漫画が見つかったときは30分でも40分でもブックオフに居続けてくれるのだけれど、たいていの場合は短い時間で店内をフラ~っと一周し、夕食の材料を買いにスーパーに行こうとこちらを急かしてくる。私は「待って!」「もしかしたらこっちの棚にあるかもしれないから……!」と必死の形相で父を足止めし、巨大な回廊のように目に映るブックオフの棚と棚のあいだをさまよった。

いくら探しても、『ラック』は見つかることはなかった。完全生産限定盤なんてよっぽどのファンしか買わないのは薄々わかっていたし、その人たちが発売からわずか1年でわざわざCDを手放したりしないのもわかっていた。

けれど中学1年生の夏になると、軽音部のYちゃんのお兄さんが「ジャケットが格好よかったから」という理由で発売当初に『ラック』を購入していたことを知り、理不尽きわまりないのだけれど、ずるい、なんで、と思った。再販してくれないレコード会社にもだんだん憎しみが湧いてきて、当時の自分の手帳に「は?」と1文字だけの日記をつけたのも覚えている。

そこまでフラストレーションを溜めるくらいなら、譲ってくれそうな知人を探すとか、ほかのブックオフの店舗にも足を伸ばしてみるとか、いくらでも方法はあったはずだ。でも、当時はそれがわからなかった。私にとってそのCDは、新品のCDショップと西台高島通り店にないのであれば、世界に存在していないも等しかった。

いま再びのブックオフへ

と、いう極端な記憶を完全に忘れ去っていた今年の8月中旬、用事があって西台駅近辺まで来ていた私は、あ、そういえば昔はこの辺にブックオフがあったな、と思った。もう15年以上の前のことだ。大通りを駅に向かって歩いていたら急に懐かしさに襲われ、隣にいたパートナーに「私が子どものとき、あそこにブックオフがあったんだよ……」と妙に感慨深げに言いながら前方を指差した。

すこし歩くと、木々のあいだに隠れていた「本」のどでかい看板が現れ、遅れて青と黄色の店舗が見えた。「あるよ」と笑いをこらえながら言われ、恥ずかしさで思わず「あるのかよ」と小さく叫んでしまう。懐かしいブックオフのほうに自然と足が向き、気がついたら入店していた。

木々のあいだから顔を覗かせるBOOKOFF 西台高島通り店

子どもの頃感じていた気迫がない、というのが最初の印象だった。中古CDとDVD、ゲームソフトの棚はどれも悠長なオーラを発して並び、棚のあいだを行き交う大人たちは、みんなぼんやりした、それでいてどことなく楽しそうな目つきで店内を眺めていた。ときおり気になる棚の前で立ち止まってはそのうちの1枚を手に取り、「ふーん」という雰囲気でまた棚に戻す。

そうか、ブックオフって大人にとってはこうなんだ、と不意に思った。なんかないかな、という漠然とした好奇心を持てるくらいの体調さえ整っていれば、いつでも来られていつまでいてもいい、緊張感のない場所。そうだったのか。

数年前のことをふと思い出す。成人し、実家を離れ、CDを鬼の形相で探すこともとっくにしなくなっていた私は、仕事の合間になんの気なしに訪れたBOOKOFF PLUS西五反田店で『ラック』に出会った。黒いジャケットを見た瞬間はさすがに心臓が高鳴ったけれど、それ以上のドラマティックな驚きはなかった。

なぜかと言えば、もうその頃には『ラック』の中古盤はどのオンラインショップでも格安で買えるようになっていたし、あれほどiTunesに入れたくてたまらなかった収録曲も、サブスクでぜんぶ聴けるようになっていたから。

私が子どもの頃、焦って泣きそうになりながら目当てのCDを探し、まるで怪物のように感じていたブックオフの姿は、もうどこにもないのだ、とそのとき悟った。西台高島通り店では気になる漫画と本を何冊か見つけ、それらだけ買うことにした。

2階への階段を上って少女漫画コーナーに足を踏み入れたとき、退屈そうにフロアを行ったり来たりしている小学生くらいの女の子を見た。その子は親と思しき女性にずっと「まだ~?」と話しかけ続けていて、女性はその言葉を半分上の空で受け止めながら、「もうすこしだから……もうすこしだから……」とつぶやいていた。女性の鬼気迫る視線の先には『りぼんマスコットコミックス』の棚があった。

その様子を見た瞬間、じわっとこみ上げてくるものがあった。子どもの頃の自分を勝手にオーバーラップさせて申し訳ないのだけれど、その女性の姿には『ラック』を必死に探していた当時の自分に通じるものがあった。彼女が探していたものがなにかはわからないけれど(そもそも、特定の1冊の漫画を探していたのかどうかもわからないけれど)、何年後でもいいからいつか見つかりますように、どうかこの人にとってブックオフが緊張を強いる場所ではありませんように、と無責任に祈ってしまう。もしかしたら、もうすこし大きい店舗に行くとあるかもしれませんよ、と心のなかで囁いた。ちょっと遠いけど西五反田店とか。

もう1枚のアルバムとの出会い

ここからは余談だけれど、子どもの頃のブックオフには強迫的な思い出しかない、というわけでは決してない。

バンドのファンになりたての中学1年生の春、彼らが過去に出した曲をすこしでも多く知りたいと躍起になっていたせいで、『ポルノグラフィティ』というタイトルの洋楽アルバムをまちがえて買ったことがある。

家に帰ってからネットで調べると、それはエクストリームというハードロックバンドのセカンドアルバムだった。そして、邦楽バンドの「ポルノグラフィティ」は、そのアルバム名に因んでつけられた名前であることを知った。

ポルノのギタリストが10代で夢中になったというそのアルバムを家のCDコンポで聴きながら、なんかわかんないけど音が歪んでてかっけえ、と思った。たしかそれが初めて自分のお金で買った洋楽CDだったから、そこからヴァン・ヘイレンとかピンク・フロイドとかいろいろな方向に手を伸ばし、音楽を聴く楽しみを広げていった記憶がある。

いまでもときどきライブの開演前のBGMとして、会場に充満するスモークのなかで流れる『モア・ザン・ワーズ』を聴くと、ブックオフであのとき買ったエクストリームのアルバムの、すこしくすんで半透明になったジャケットを思い出す。

TEXT:生湯葉シホ
PHOTO:生湯葉シホ&ブックオフをたちよみ!編集部

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