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北野勇作の写真

北野勇作

小説家・俳優

1992年、『昔、火星のあった場所』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。落語の台本作家としても賞を獲得するなど、多方面で活躍している。Twitterで「ほぼ百字小説」を毎日投稿しており、多くのフォロワーを魅了している

またあの夢だ。たくさんの紙の本が並んでいる場所の夢。まるで夢のようだ。夢の中でいつもぼくは思う。

古本だ、当然のことながら。もう紙の本などこの惑星のどこでも作られてはいない。紙の本だということは、つまり古本なのだ。

いつもの夢の冒頭で、お約束のようにぼくはそうつぶやく。

そして、そのいつもの夢の中で、ぼくがこのぼくであるのはそこまで。その先はその世界の住人なのだ。

そこにはまだ普通に紙の本が存在している。たぶん、ぼくから見ればはるかな過去だ。そんなはるかな過去をぼくは夢に見ている。

このぼくではない夢の中のぼく――いや、ややこしいから「彼」と呼ぼう――は、電車に乗っている。彼と意識を共有しているぼくは、その交通機関が電車というものであることを知っている。JR大阪環状線。その名の通り「環状」、つまり大きなリング状の路線だ。

夢の中のぼくは、そのリング上にある梅田という街にある会社に勤めている。環状線の駅で言えば大阪、そしてぼくが住んでいるのは同じ環状線の駅の芦原橋。

環状線は、円形だから上りも下りもない。内回りと外回りだ。大阪から芦原橋へは内回りの電車に乗る。

でも、彼はこうしてときおり外回りに乗る。会社を早く出ることができたとき。途中にある鶴橋駅で途中下車するためだ。鶴橋といえば焼肉、というのが普通らしい。なにしろ駅の発車メロディーが「ヨーデル焼肉食べ放題」なのだから。

なんだそりゃ、とぼくは思う。これは夢の中の彼が持っている知識なのだ。

繰り返すが、夢の中の彼は、このぼくではない。ぼくは、彼の中から彼の意識を通して彼の見ている世界を眺めている。

いや、本当にそうなのかどうかはわからないが、まあそんな感じなのだ。このぼくからしてみれば。

電車を降りると、そこは高架の上にある駅だ。プラットホームから階段を下りて、中二階の改札口へと向かう。彼がすでにわくわくしているのをぼくは自分のことのように感じている。つまり、ぼくもわくわくしている。

通路の先に中二階の改札口が見えてきた。

そこには大きな看板がある。いや、看板というより改札口自体がそれだ。

自動改札の真上に黄色の地に『BOOKOFF』という青い文字が輝いている。改札口、というよりその『BOOKOFF』という異世界の入り口のように思える。古本という過去の膨大なデータの集積した世界の。

そして実際、その改札の向こうには、そのまま本棚がずらりと並んでいて、その本棚の間が改札からの通路になっているのだ。

これが鶴橋駅の「ブックオフ改札口」。まるで夢でも見ているような奇妙は風景だが、これがかつて現実に存在した風景であることをぼくは知っている。「駅前過ぎるブックオフ」などと呼ばれていたことも。そんなネットの情報は今も残されているから。

そう、これは夢だが夢ではない。データとして残されている現実の記録。過去の膨大な情報の集積。それに我々がときおりアクセスしている。いや、アクセスしてしまう、というほうが正確か。こちらでコントロールできるわけではない。ノイズのように紛れ込んでくるのだ。

そういう意味では、夢ではないが夢のようなものである、とも言えるだろう。夢だけど夢じゃない。ぼくたちに残されたそんな過去。人類の過去の遺産。もちろん彼はそんなことを知りはしない。彼にとって、これは日常の中の時間。日常の中にある幸せな時間だ。会社が早めに終わったとき、彼はいつもとは逆回りの電車に乗ってこの駅で下車する。

それにしても、駅前にもほどがあるで。

彼はそうつぶやいて、自動改札を抜けると、そこはもう本の森だ。いやあ、たまらんなあ、と思わず声が出る。まるでそれはぼく自身の心の声であるかのような気さえする。関西弁と呼ばれるちょっと奇妙な言葉ということを除けば。

ぼくがそんなことを考えているあいだに、彼はもうすでに本棚のあいだを早足で散策し、お目当ての本を手に取っている。

これ、これ、前からこの本、気になっててん。

文庫本だ。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

古いSFだ。

とりあえずこれを確保しといて、あと、なんかないかなあ。

幸せそうにつぶやく。

いや、幸せそうに、ではなく、幸せだったのだろう。そんな幸せな過去の記憶を、今のぼくたちはこうして夢のように味わっている。会社の帰り道、途中下車して「駅前すぎるブックオフ」。そう呼ばれていた店に寄り道するのが楽しみだった男の記憶を。

誰のものだかはわからない誰かの一連の記憶。それが古本のように残されている。あのブックオフの本棚のように。

なぜそんな記憶が残っているのかはわからない。いったいどこに残っているのかもよくわからない。錯綜した膨大なメモリーの中のどこかにあって、そこにこんなふうにたまたま繋がることがある。

ぼくにわかっているのはそれだけ。かつての世界に何かが起きた。そして、もう今は断片的なデータとしか残されていないのだ。膨大なデータはあっても、すべては細切れで、わからないことのほうが多い。

でも、これはたしかだ。こんな店があった、ということ。

大阪のJR環状線鶴橋駅のブックオフ。

夢だから奇妙な風景なのではなく、そんな店が本当にあったのだ。駅の改札を抜けるとそこがそのまま店の中。そんな本好きが見る夢のような店が。これは会社の帰りにいつもその店に行っていた男の記憶なのだろう。ぼくはそう推論している。

誰のものだかわからない一連の記憶が、この世界を維持するサーバーの中のどこかに、古本のように残されている。ぼくの中にそれが入り込んできているのだ。いちどルートができると、何度もそういうことが起きる。起きやすくなる。同じデータにアクセスしてしまう。

そしてぼくは、それを楽しんでいる。お馴染みの夢を見るように。同じ本を繰り返し読むように――。そう、楽しんでいるのだ。こんなふうに夢の中で、何度も何度も。

だからぼくは、この夢の中でこの先に起きることも知っている。あの鶴橋駅のブックオフが閉店したときのことも。改札口で閉店のお知らせの貼り紙を見て呆然としながら、彼がこうつぶやくことも。

いつまでもあると思うなブックオフ。

そやねん。もちろんブックオフだけやない。なんでもそうや。それはしゃあない。

そんなことをつぶやいた彼でも、紙の本がなくなるだけでなく人間も、そして人間を含む世界のすべてが電子化される、などということまではさすがに考えはしなかっただろうが。

電子化された人間は紙の本の夢を見るか?

あの夢にはまだ続きがあって、ぼくがそれを見ることができたのは、そんなことを考えたからなのだろうか。それともただの偶然?

夢の中の彼は、あの後もやっぱりブックオフにいた。まあ、あそこほどではないにしても、駅前には違いない。そうつぶやきながら彼が見回しているのは、同じ環状線の駅前にあるブックオフの店内。

BOOKOFF 天王寺駅前店。

おんなじ環状線やし、それに店の中に螺旋階段がある、っちゅうのは、ちょっとおもろいがな。

TEXT:北野勇作

【ブックオフへの思いを語るエッセイ】

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