玉置周啓
音楽家
4人組バンドMONO NO AWARE、アコースティックユニットMIZのギターボーカル。作詞作曲をはじめ、エッセイ・イラスト等も手がける。
Spotify独占配信中のPodcast『奇奇怪怪』やTBSラジオ『脳盗』のパーソナリティもつとめる。
思わず長居してしまった、若き日の「立ち読み」の記憶
ブックオフで『バガボンド』(講談社)を全巻読んで号泣したことがある。
大学を出て友達の家に転がり込んだ年の瀬、夜勤明けの私は正午に目覚めた。久々の休みにもかかわらず財布の寒い私は、本でも買って家で読もう、と寝巻きのままサンダルをつっかけて街に出た。
ところが私の住んでいた北綾瀬という土地には所謂古本屋がない。導かれるようにして足が向いたのは、近場のブックオフだった。
広い店内に入ると、まず哲学・思想書がありそうな棚を探して歩く。なぜならそこは、なんとなく惹かれるタイトルや、格好いいジャケの宝庫だからである。実りがありそうな予感に胸が膨らむし、実際にそうであることが多い。
古書店でも同じようにしてみたことがあったが、雰囲気がありすぎて自分ごときが買っていいのかと不安になったり、貧しさから軒先のワゴンセールばかり物色するようになって以降、あまり行かなくなっていた。背伸びをしているような感じがしたのである。その点、ブックオフは、すべての客が等しく扱われている感じがしたので好んで足を運んだ。
今日も今日とて、素晴らしい読書体験が期待できる書棚を眺めながら、休日の家で読むに相応しいタイトルに目星をつけ、いつものようにレジへと向かう。向かっていたはずだった。
ところが不思議なもので、気づけば100円の漫画が大量に並ぶ通りに立っている。ここには、スーパーのレジ近辺に積み上げられた大安売りのポテチや、無意識に手に取ってしまう栗饅頭のような魔力がある。それはとても有名な話で、みんな当たり前に知っている。
目当ての小説や評論を手に持ちながら、買う気がなくてもひとまず寄って眺めてしまうパワースポットが、100円漫画棚である。かくいう私も適当な漫画を引き抜いては読んでみる、という行為が慣例となっていた。
そうして栗饅頭をカゴに放るかのように、この日棚から引き抜いたのが、『バガボンド』であった。
思えば、中学生の時からスラダンブームに乗れなかった私は、はねっ返すように小難しい本を読み始めたと言ってよい。なにか皆が熱狂できる作品というものに忌避感を持ち、あまり人が手に取らなそうな本を読むことで程よい孤独感を得ようとする人間であった。
だからきっと今回も乗れないのだろう、という薄暗い期待を抱きつつ、なんとなく読み始めた。いつものように思想書を小脇に挟みながら。
ところが、本を閉じる頃には火照った身体で次巻を手に取っていた。面白すぎて暖房を止めてほしかった。
お願いします、暖房を止めてください。そう伝えようと店内を見回したとき、ようやく自分が立ち読みをしてしまっていることに気づく。しかも一冊まるごと楽しみ切り、そのうえ感動してしまっている、という愚かさに。
店内には小さくポップ音楽が流れ、店員が大量の書籍を持って私の背後を通過する。平日の昼だからか客足は少なく、「いらっしゃいませ」と、店員同士の事務連絡のような囁き声しか聞こえない。
もしかして、私のことが見えていないのではないか?
常識ある人間は、ここで引き下がる。思想書を買って外に出る。しかし若かりし私は、のぼせた頭で次巻を手に取ってしまったのである。
次巻を読み終えたときには興奮のあまり頭がぼうっとし、顔を真っ赤にして汗をかき、それが冷やされ悪寒を感じ始めていた。面白すぎて風邪を引いたかと思った。
手の甲をおでこに当て発熱の有無を確認してから、私は大きな決断をした。脇に抱えた思想書を、平積みされた漫画の上に一旦置く。もうこうなれば、家である。
非常識な魔法陣を引いた私はそれからもう十冊ほど夢中で読み、店に自分以外いないような錯覚を感じながら、立っている位置も続巻の並ぶ右方向へじりじりと移動していった。
十何巻目かに手を伸ばしたとき、台車の音がした。漫画を載せた店員が勢いよくこちらに向かってくるではないか。これまでか。私は伸ばしかけた手を引きながら深い反省と謝罪の義務に襲われて、けっこう左のほうに忘れ去られていた思想書を急いで抱えた。
ごめんなさい、もうしません。母ちゃんにだけは言わないでください。
しかし台車は過ぎ去っていった。「いらっしゃいませ」という祝福の音色だけを添えて。私は神妙な面持ちで思想書を置き、流麗な手つきで次巻を手に取った。
すでに二度、涙を流していた。嘘なしの大粒の涙が頬を伝うたびに、このまま顎から垂れる雫に浸りたい願望と、ページが濡れないよう気を遣う必要性との間で揺れた。
しかし視界は滲み、全身が石のように硬直し、脳内は作品世界に同化し始めている。もはやこれまでの私ではない、生き方も変わるだろう。そういう精神状態になっている。
ある感動的な場面でいよいよ涙腺が決壊し、滝のように涙が溢れた。読む手を止めるわけにはいかないが、涙も止まってくれる気配がない。拭えばよいのに、硬直した身体は本から両手を放すことを拒んでいる。
顎まで伝った雫が膨らんで、ついに落下する。きっと紙面が濡れる。そう感じた私は、咄嗟に漫画を持った両手を突き上げ、落涙の軌道から逃そうとした。
すると、長いこと猫背気味に硬直していた私の身体は突然の指示に困惑し、腕は上がったが、膝も曲がった。
椅子に座る直前の体勢、ペッパーくんが充電する際の体勢、中腰で私は泣いていた。
その間、何度も店員が台車を押しながら私の背後を通過したり、私の隣、もしくは私の足元で商品陳列が始まったりしたが、一度も注意を受けることはなかった。
中腰で泣いている寝巻きの成人男性がいるのに、「いらっしゃいませ」以外の言葉が投げかけられることはなかったのである。
思想書を買って外に出ると、もうすっかり夜だった。
不真面目な読者を受け入れる「社会の隙間」としてのブックオフ
私は、不真面目な読者である。
大学を出て間もない、金もない私にとって、数少ない娯楽は読書であった。読書というより、購入から読むに至るまでの読書体験と考えるべきかも知れない。
大きな新刊書店や古書店の存在をいくつか知ってはいたから、何度か足を運んでは奮発することもあったが、そればかりでは生活が回らなかった。
スラダンブームに乗れないからと小難しい本に手を出しては、小難しすぎて諦めることもままあった。
新刊ばかり買う余裕もなければ、古本屋を辛抱強く巡って目当ての本を見つけるほど熱心な読者でもない。正直、漫画とかも読みたい。
勝手が過ぎる話だが、そういう読者にとって、ときに書店は息苦しい場所でもあった。金銭的に手は出ないが気になる本、それを手に取ることさえ逡巡してしまう。
特に若者には、そのような読者が潜在的に多いのではないかと感じる。所謂「読書家」ではない、しかし本を読みたい人々である。古本屋のワゴンを覗いては店内の雰囲気に怖気付いて立ち去っていた、あのときの私のような。
本に限らずともよい。若者は常に、正規の値段、正規のマナー、正規の価値観との付き合いを迫られている。しかし全てを正規の通りに受け入れることなど、ままならない。
その結果、彼らは社会の隙間とでも言うべき空間を浮浪して生きているのではないか。
少なくとも若い私にとって、なんとなく一缶飲んでも良さそうなコンビニ前のスペースや、軽いキャッチボール程度なら許されそうな路地は、金や余裕がなくとも人生を楽しめる貴重な空間だった。
寄りかかりすぎると壊れてしまう繊細な均衡に目配せをしながら、すり抜けるように生きた。そして、若者はそう生きるべきだと思う。
立ち読みも、風が抜けるような読書体験である。何かしら本を読みたいが、なんとなく読書にハードルの高さを感じるという読者層に、新たな選択肢を与え得る。
読書体験の充実は、読む量や書籍の質に限らず、それを読む環境や出会いの多様性によって支えられているのではないか。
対価を支払うべきなのは勿論だが、それが思うように叶わなかった私にとって、なんとなく手に取った『バガボンド』にアテられるという経験は、鮮烈そのものだったのである。
今日も、どこかで誰かが魔法陣をつくる
先日ブックオフに入ると、100円漫画が並ぶ棚の前に男子小学生が立っていた。
眼鏡をかけ、ナップザックを背負った男の子は、猫がものを喋る漫画に真剣な眼差しを送りながら、時には足を交差させ、時には仁王立ちとなって読み進めている。
やがて読み終えた一冊を書棚に戻すと、感慨深そうに遠くを眺めてからいなくなった。
どんな本を読んでいたのだろう、と私は棚を覗き込み、彼の読んでいた漫画の前まで移動した。なるほどこんな漫画がいま小学生に読まれているのか、と他の書籍にも目が移る。
と、足元に人影を感じた。見やると、先程の男子小学生が私の隣に立っている。驚くより前に、彼の眼鏡越しの視線の宛先が気になってそれを追うと、どうやらまた猫の漫画の背表紙に向けられているらしい。
気を遣って横にずれると、彼は流麗な手つきで次巻を棚から引き出し、右肩にかけていたナップザックを大きく開いた両足の間に下ろした。
陣地の完成である。非常識な魔法陣。もう彼の前の棚は、彼のものであり、彼は今この店に独りだった。
さして混雑していないからだろうか、店員は注意することもプレッシャーを与えることもなく、商品陳列に徹している。彼もまた、この店に独りだった。
それを眺めている私も、この店に独りだった。本屋に似つかわしくないポップスだけが、私たちを同じ空間に繋ぎ留めている。
しばらくすると男子小学生は無事に一冊を読み切り、こんどは小さく深呼吸してからいなくなった。
棚には、猫の漫画がまだ十数巻残されている。そのさまを見ながら、冬の在りし日を思い出した。
彼はきっと、猫の漫画にアテられている。いいではないか、こんどは私が大人としてお金を落とし、均衡を取ろうではないか。
私はおもむろに『ブッダ』全巻を胸に抱え、レジに置き、支払い、仄かな期待を抱きながら後ろを振り返った。舞い戻った少年はもはや床に膝をつき、正座のような格好で読書に耽っている。
店員は、きっとそれに気づいているが、少年が決定的なことを起こさない限りは、声をかける気配もない。流浪の少年はまたそれとなく席を外し、また戻ってきてナップザックを肩から下ろすのだろう。少しずつ右に移動しながら。
その移動の先の先には、きっと新刊書店や古書店もあるだろう。そう信じながら店を出ると、もうすっかり夜であった。
TEXT:玉置周啓
PHOTO:玉置周啓、ブックオフをたちよみ!編集部
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