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橋本真由美さん( ブックオフコーポレーション株式会社・元社長)

橋本真由美さん
1990年4月にパートとしてブックオフコーポレーション株式会社入社。その後、店長、取締役、代表取締役社長、会長、相談役を経て、2018年9月退任。趣味は、畑いじり、草むしり。

18年間の専業主婦生活の末、パートで入社

――そもそも、なぜブックオフで働き始めたんですか?

単純に、生活のためのお金が欲しかったからですね。主人と23歳で結婚してから18年間は専業主婦でした。

2人の娘が中学、高校と大きくなっていくうちに塾代などのお金がかかるようになったんですね。それで少しでも家計の足しになればという思いでアルバイトを探していたところ、たまたま届いたのが「ブックオフ1号店 オープニングスタッフ募集」の新聞チラシです。応募して、開店直前から働き始めました。1990年4月のことです。

――18年ぶりに働いたとき、どんな感じでしたか?

2週間でげっそり痩せました(笑)。実は私、とても緊張しやすくて、人前に出るのも苦手。子どもの学校のPTA活動では、「橋本の母でございます」と挨拶するのも恥ずかしくて、他の親御さんの影に隠れながら言っていたくらいなんですよ。だからお客様と話すのもドキドキでした。

1991年、パートタイマーして勤務していた頃。最初は接客もドキドキ。

でも、2週間後にはすっかり仕事に夢中になっちゃった。もともと「平日は夕方4時まで、土日は休み」という約束だったんだけど、開店準備の遅れを取り戻すために帰宅時間がどんどん遅くなって。ついには深夜に帰宅することもありました。

――そんなに遅く! どうしてそこまで夢中になったんですか?

やっぱり、「感謝される喜び」を知ったからですね。専業主婦って案外、孤独なんですよ。掃除をしたりご飯をつくったりするのは当たり前と思われていて、家族から「お母さん、ありがとう」なんて言葉をかけられるのは、1年に1回あるかないか。でも、働き出したら「橋本さんのおかげでこんなに売上があがったよ。お店もきれいになった」と褒められるわけですよ。「感謝されて、お金も貰える! こんな世界があるんだ!!」って、とっても新鮮で。2号店では店長を任されました。

入社当時を懐かしむ橋本さん

挫折から気づきを得た店長時代

――初めて店長を務めた2号店は、オープンから1年で閉店の危機に瀕したと聞きました。

そうなんです。1991年1月のオープン当初は1日の売上が10万円前後だったんですけど、春になると9万、8万……と下がりだして、夏を過ぎて秋口には3万円台まで落ち込んでしまいました。そして12月25日のクリスマス、坂本さん(※1)がお店にやってきて「もうこの店、潰そう」と。

いま思えば、やる気が空回りしてたんでしょうね。主婦のおばさんが、パートを始めて数か月でお店を任されたわけですから、それはもう必死でした。でも、その気持ちがスタッフに伝わっていなくて、売り場はガタガタ。倉庫には在庫の段ボールは山積みだったし、スタッフの接客態度も到底いいとは言えない。当然、売上は上がらない…。

※1「坂本さん」
ブックオフ創業者の坂本孝氏のこと。現在はブックオフを離れ、「俺のフレンチ」などの飲食店を運営する「俺の株式会社」の取締役会長を務める。

――どうやって立て直したんですか?

泣いたことがきっかけなんです(笑)。坂本さんから閉店宣言をされた数日後の仕事納めの日、年が明けたらこの店を閉めることになるんだと思いながらカウンターに立っていたら、はらはらと涙がこぼれてくるわけですよ。情けない、悔しい、みんなにどう伝えよう……。

とにかく、涙だけはみんなに見せちゃいけないと思って、ひとり店の外に出て泣きました。そしたら、若いスタッフが気づいて、「なんで泣いてるんですか?」って。「実はね、このお店、来月でおしまいなの」「えっ!」と彼は絶句したあと、「そんなのイヤだ! 売上増やして店残そうよ!」って、店内に走っていくわけですよ。普段は、だらだら仕事してたクセに(笑)。

ブックオフ店長時代を思い返す橋本真由美さん

それでみんなの知るところになって、「社長を見返してやろうよ!」「絶対、潰させない!」と、息巻くわけです。それからですね、スタッフの顔つきが変わって、本気で仕事をしてくれるようになったのは。売上も回復して、どうにか2号店を残すことができました。閉店の危機にあったことで、はじめて「人」の大切さに気づきました。

――追い込まれたときの底力ですね。

そういうときに沸き起こる「モチベーション」ってすごいパワーなんですよ! 事業に不可欠な経営資源は「ヒト」「モノ」「カネ」だとよく言われますが、私は「モチベーション」が第4の経営資源だと思っています。

自分ひとりでできることには限界がありますから、いかにスタッフの「やる気=モチベーション」を上げられるかが、リーダーの腕の見せどころだと思います。

課長時代、外部研修に参加する橋本さん。
課長時代、外部研修に参加する橋本さん。

――スタッフのモチベーションをあげるために大切なことは何ですか?

正当な評価をして、「きちんと褒めて、きちんと叱る」ことでしょうか。たまに見栄とか、上司へのアピールのために部下を叱るという人がいますよね。でも、そういう打算があると必ず見抜かれて、叱られたほうはやる気を失います。本当に相手のことを思いやって叱る。そうすると、心に響く。

あと、「頑張る人がバカをみる」という組織であってもいけません。会社のために一生懸命なスタッフを、ちゃんと見極めて褒めてあげること。そして、正当な評価をするためにはスタッフと一緒になって汗をかくことが必要です。スタッフと同じ目線、同じ気持ちになって働くことで、はじめてきちんと仕事ぶりを評価できるようになります。

ブックオフ店舗内で社員とともに作業をする橋本さん
BOOKOFF八王子堀之内店の店長を務めていた時には、橋本さんの店舗運営を学ぼうと全国から社員・スタッフが見学に訪れた(1998年)。

社員から役員、そして社長に

――その後、店長から取締役となり、業務も増えたと思います。仕事と家庭、どのように折り合いをつけていましたか?

最初は両立しようと頑張りましたが、無理でした。料理は手抜きでしたし(笑)。2人の娘にもつらい思いをさせたと思います。働き始めるまでは「超過保護」と自分でも思うぐらい、なんでも私が世話していたのに。

いいように考えれば、私が忙しく働くことで娘たちは自立できたのかなと思います。

――ご主人は、専業主婦だった橋本さんが働くことに納得していたんですか?

いえいえ、主人も福井の田舎の生まれで、「女は家庭」という古い考えでした。だからよく喧嘩もしましたね。出張のときは、よく取引きしていました。
「高知で新店がオープンするから、泊まりがけで出張させてほしい」と私が言うと、主人は顔をしかめて「新しいゴルフクラブ買うぞ!」と。私は「どうぞどうぞ。では出張に行かせていただきます」なんて具合です(笑)。

「夫と取引して出張に行っていた」と語る橋本さん

――そうやって葛藤しながら、お仕事を続けてきたんですね。2006年には社長に就任されました。

はい、それはもう突然。前年の年末あたりから、坂本さんが「次の社長は橋本さんだよ」と周囲に触れまわっているということは小耳に挟んでいたんですけど、直接は言われていなくて。それで年明けの2月、店舗会議の壇上で坂本さんが「次の社長は橋本」と明言したんです。これは大変なことになったと、青ざめました。

社長交代を発表したのは5月16日で、すぐ取材の申し込みがありました。やっぱり「パートから社長」というのが注目されたんですね。慌てて美容院で白髪染めしましたよ。翌日の記者会見には100社ぐらいマスコミが集まったと思います。机の上にはマイクが山のように置かれ、フラッシュの嵐。しどろもどろになりながらも、どうにか記者からの質問に答えて、会見を終えることができました。話した内容は、あまり覚えていません(笑)。

社長時代の橋本さん

――社長というのは、やはり大変でしたか。

周りの社員には本当に助けられましたね。社内の問題が発覚したとき、とにかくマスコミからの攻撃がすごくて私、すっかり参ってしまったんです……。そしたら、昔からの社員が守ってくれるわけですよ。

それで私は情けないことに都内のホテルでオイオイ泣いてばかりいたんですけど、ある社員から「橋本さんがどっか行っちゃいそうで心配になって連絡しました。こっちは大丈夫です」って電話がきて。そのとき、気づいたんですよ。「現場は非難にさらされて、バッシングを受けながらも頑張ってる。統括マネージャーも店長も、失った信頼を取り戻そうと必死になっているのに私、何やってるんだろう」って。

それからすぐ会社に戻って調査委員会を組織して、原因究明と再発防止策の立案につとめました。当然、私は社長を退任。代表権のない取締役会長に就任しました。大いに反省すべき事件でしたが、あの事件があったことで、組織として一回り成長できたのも確かだと思います。

ブックオフを卒業した今、これからの世代に伝えたいこと

――その後、相談役などを経て、2018年9月に30年近く勤めたブックオフを卒業されました。なぜこのタイミングだったんですか?

翌月からホールディングスとして生まれ変わるというときで、ちょうどいい区切りかな、と。それに数年前から福井で暮らす父が寝たきりに近い状態になっていたので、一緒に過ごす時間を増やしたいという思いもありました。それまで福井の実家に通って遠距離介護をしていたんです。

卒業するのは寂しかったけど、私が伝えられることはもうすべて伝えきったという思いでした。これ以上役に立つことはないし、足を引っ張るだけ。会社は時代に合わせて変わっていかないといけないものですから、若い人が引っ張っていったほうがいいんです。

 店舗スタッフと引き出しを覗いて作業する橋本さん
会長退任後は再び現場に戻り、店舗運営のアドバイスを行った。

――あらためてブックオフでやり遂げたと思うことは何だと思いますか?

「人が第一」ということは徹底したつもりです。私は店長時代からずっと、スタッフさんと社員は「戦友」という気持ちでやってきました。だから「部下」という言葉が嫌いなんです。「部下」って言い方、なんか偉そうじゃない? 上も下もなく、みんな一緒にお店を盛り上げていく仲間です。アルバイトのスタッフさんにもよく助けられて、本当に感謝しています。

――橋本さんのように女性が活躍しやすい職場づくりのコツを教えてください。

「得意なことで会社に貢献する」という雰囲気をつくることが大事です。よく「お茶くみ」に不満をもつ女性がいますが、お茶くみが得意だから任せるのであれば良いと思うんです。一方で、重い物を持つのは筋力がある男性のほうが得意なことが多い。性別に関係なく、上に立つ人は「あなたが得意だからこの仕事を任せているんだよ」ときちんと伝えてあげることが大切だと思います。

あと、小売り業界では、「結果=売上」がすべてです。経営者は、売上をあげて会社に貢献している社員を絶対大切にします。そういう意味では、すごく男女平等に評価される業界ではないでしょうか。

女性が活躍しやすい職場について語る橋本さん

――最後にブックオフへの率直な思いをお聞かせください。

仕事を離れたいま、あらためてブックオフの強みは、社員とスタッフの真面目さ、勤勉さだと感じています。「みんな一丸となって売上を上げよう!」とか、「残業してでも今日中にこの仕事を終わらせようぜ!」とか、そういう働き方はいまの時代にはそぐわないのかもしれないけど、ブックオフにはそういう思いが脈々と受け継がれていますよね。

会社が時代に合わせて変化していくのは当然だけど、「目の前の仕事に夢中になることの大切さ」「みんなでひとつのことをやり遂げる楽しさ」は、変わらずに次の世代に伝えていってほしいと思います。

店舗で微笑む橋本真由美さんとよむよむ君

TEXT:相澤良晃
PHOTO:宇佐美亮

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