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 堀内康隆社長

ブックオフグループホールディングス株式会社 代表取締役社長
兼 ブックオフコーポレーション株式会社 代表取締役社長 堀内康隆さん
コンサルティング会社を経て、2006年にブックオフ入社。その後、取締役執行役員、 経営企画部長、ブックオフオンライン株式会社代表取締役社長などを経て、2017年4月から現職。趣味はジョギング、サックスを吹くこと。好きな本は『やり抜く力』(アンジェラ・ダックワース著、ダイヤモンド社)。2児の父。身長は188㎝。

思い出の店舗は「ニューヨーク1号店」

――2020年、ブックオフは30周年を迎えました。30年前というと、堀内社長は何をしてましたか?

生意気な中2でした(笑)。小学生の頃は受験のために勉強ばかりしていて。その反動で中学に入ったらまったく勉強をしなくなって、吹奏楽部とグランドホッケー部の掛け持ちをしていましたね。将来の夢は弁護士で、たしか小学校の卒業文集にも書いたと思います。

――なるほど。では、ブックオフとの最初の出会いはいつですか?

たしか、高校生の頃。実家が大田区の蒲田なんですけど、JR蒲田駅の東口にあったACT(アクト)というおもちゃ屋さんがなくなって、そこがブックオフになったんですよね。それが最初に行ったお店だと思います。

ただ、大学時代は学校の近くにも通学途中にも店舗がなかったから、あまりブックオフに行った記憶がないなぁ。頻繁に行くようになったのは社会人になってから、ニューヨーク店ですね。

――ニューヨーク!?

はい。1999年に大学卒業後、新卒で経営コンサルティングの会社に入りました。半年後にニューヨークへの駐在を命じられて、さらに半年後の2000年4月にニューヨークにブックオフの第1号店ができたんですよ。場所はイースト41。セントラルパークやメトロポリタン美術館のある5番街から、少し東に行ったところですね。

当時、ニューヨークで日本の本を買えるところは紀伊國屋ぐらいしかなかったんですけど、日本の倍の値段でした。『地球の歩き方』を40ドルほど(約4000円)で購入したのを覚えています。学生の頃は『週刊サンデー』(小学館)を愛読していたんですが、新卒1年目でお金がなくて、ニューヨークに行ってからは買うのを我慢していました。そこにブックオフができたわけです。もう小躍りしながら通いました(笑)。

当時を懐かしむ堀内社長

――へー! その頃のニューヨーク店はどんな感じでしたか?

今と違って、スタッフさんはほぼ全員が日本人。お客さんも大半が日本の方で、洋書はほとんど置いていなかった。だから日本が恋しくなったら、ブックオフに足を運ぶんです。ちょうど仕事でも挫折して落ち込んでいた時期だったので、日本語を聞けてホッとできる、ありがたい場所でした。

――挫折と言うと?

実は恥ずかしながら、英語がほとんど話せないまま赴任したんですね。現地のスタッフと同じようにプロジェクトから指名を受けて配属され、チームで仕事をするスタイル。英語ができない私はうまくコミュニケーションがとれず、なかなかプロジェクトに配属されずでして。

そんな中ようやく任された仕事は英語から日本語への翻訳作業です。日系のクライアント企業が持っている日本語の業務フローやシステムの仕様書を訳して書き換えるという作業を、オフィスの片隅で毎日ひたすらこなしていました。その間、国内にいる同期はプロジェクトでどんどん仕事を任されて独り立ちをしていく。自分のやっている仕事とのギャップで「この選択が本当にいいのだろうか?」と思ってました。

そのプロジェクトが終わると次のプロジェクトまではやることがないので、eラーニングでシステムやビジネスの勉強です。どうせ仕事がないのだから勤務時間中でもいいだろうとeラーニングの傍ら英語力を徹底的に鍛えることにして、ミュージカルもよく観に行っていましたね。その後も短期間のプロジェクトに配属されますが雑用やシステムテストの仕事ばかりでした。

そうこうしていると、最初はまったくダメでも少しずつ英語ができるようになるんですよ。最終的には日常会話は不自由なくやり取りでき、会議でも意見が求められれば話すことができるレベルまで上達できました。

ニューヨーク時代の堀内社長
ニューヨークに駐在していた頃の堀内社長。当時の上司と

――それはすごい!

ニューヨークでは、だいぶ忍耐力が鍛えられました。人種差別を受けることもありましたし、異国の地で働くということがどういうことなのか学べたのは大きかったですね。それと、「仕事は選ぶものではない」ということが身に染みてわかりました。仕事をお願いすると「僕の仕事じゃないです」「私、やりたくないです」という人がたまにいますよね? 正直、「仕事があるだけで、ありがたいんだよ」と思います。

やりたくない仕事でも、求められたらまず100%の力でやってみる。そこで結果を出せたら、ご褒美として自分がやりたい仕事を任せてもらえるようになる。こうした仕事観を、ニューヨークに滞在した1年半で持つようになりました。

パートさんからの愛情こもったお説教が3時間!?

――アメリカから帰国後は?

大手企業を中心にシステム開発のプロジェクトに携わりました。そして入社から5年経った2004年8月、環境を変えて自分の力を試してみたいと思って、トーマツコンサルティング株式会社(現デロイトトーマツコンサルティング株式会社)に転職しました。それから間もなく担当したのがブックオフです。会計システムの導入選定をはじめ、経営改善に携わるようになり、ちょうどいま取材を受けている、まさにこの部屋に半年間、常駐しました。

ブックオフに出向していたときを思い出す堀内社長
当時から本社ビルは変わらずで、まさにこの部屋の角、社長の右手側に半年間常駐していたという偶然

――当時のブックオフの印象はどうでしたか?

それがもう衝撃的で……。最初の打ち合わせで「組織図をください」とお願いしたら、「はい、これ」と手渡されたのが内線番号表だったんですよ。組織図なんかないわけです。しかも、相談されたのが、「店舗数が合わないのでどうにかしてください」という内容でした。各部署が把握している店舗数が一致しないということなんですね。それで、各部署から店舗リストを集めて、抜けや追加もれをチェックする作業からはじめました。

――それは、なかなか大変ですね……

社長以下が横並びのフラットな会社だったんですね。「プロセス化も組織化もしていないけど、正しい数字を導き出す集団になっている」というのが、そのとき私が参加したプロジェクトでまとめたレポートの総括です。本部の社員たちのコミュニケーションは密度が濃く、熱い集団でした。一方で仕組みという意味では中身はすごく未熟でした。それでも会社の規模は大きくなっていたので、仕組みや組織、システムを整備していけば、まだまだこの会社は成長できるなと感じました。

よむよむ君

――その後、ブックオフに入社を決意したきっかけは?

コンサルティングのプロジェクトで関わっていたときのプロジェクトチームのリーダー・佐藤弘志さんに誘っていただいたことですね。佐藤さんは当時、ブックオフの子会社の代表取締役を務められていて、その子会社の上場を目指していました。「それを手伝ってほしい」と声をかけていただいたことがうれしくて、2006年3月に入社しました。

それから数ヶ月間経理を担当したのち、当時大田区にあったBOOKOFF雑色バス通り店に配属されました。店長が他店のヘルプなど仕事が忙しくて不在のときが多い店舗だったので、「よし! 自分がスタッフさん(パート・アルバイトスタッフ)を引っ張って売上を上げてやろう!」と意気込んだものの、結果は散々で……。そしたらある日、女性のパートさんから居酒屋に呼び出されたんですね。

――社員がパートさんから呼び出しをくらったわけですか?

ええ、なかなか迫力のあるパートさんで……。「やりたいこといろいろあるのかもしれないけど、人に頭下げられないでできるわけないじゃん!」なんて調子で、サシで3時間説教されたんです。

笑っている堀内社長
当時を思い出して、思わず笑う堀内社長

――サシで3時間……

今思うと、ありがたいことですよね。成績不振で私はいずれ異動になっていたと思うので、何もなかったように済ますこともできたわけです。そこをあえてアドバイスしてくれた。そのおかげで、スタッフさんたちの気持ちが全然わからずに、一人で空回りしていたことに気づけました。

その翌日、店舗の朝礼で「年末年始のピークに、どうしても結果を出したい。どうか力を貸してほしい」とスタッフさんにお願いしたところ、例のパートの女性が「こうやってお願いしてるんだから、みんなやってやろうよ」と後押ししてくれたんですね。それがきっかけでスタッフさんとのコミュニケーションもうまくいくようになって、当時、1月では過去最高の月間売上を達成することができました。現場の大変さ、スタッフさんとの信頼関係の大切さが身に染みてわかりました。

――その後、執行役員になり、管理本部長、経営企画部長、ブックオフオンライン株式会社の代表取締役社長などを務められています。そこでの思い出はありますか?

とにかく自分の置かれた立場で全力を尽くすことを貫いて仕事してきました。ただ全力を尽くしたとしても結果が伴うことばかりではなく、結果が出せずに苦しんだり、独りよがりで空回りすることもしばしばありました。経営企画部長時代には施策がうまくいかずに、経営状態の悪化を招いてしまったこともありました。実は、会社を辞めようと悩んでいた時期もあるんです。辞めたからといって責任をとったとは言えませんが、会社に残り続けるのも道理を外れているのではないかと考えたんですね。

――そこを踏みとどまれたのは、なぜですか?

社長に任命されたからですね。「辞めることを考えていたのになぜ?」と思われるかもしれませんが、自分に与えられた仕事や役割に対して全力を尽くすことが正義。ニューヨーク時代に培ったこの仕事観は、いまでも変わりません。

BOOKOFF雑色バス通り店や経営企画部長時代の件など、さまざまな失敗をして自分に至らない点が多いことも実感していましたが、社長に推薦してくれる声があるのなら、それに全力で応えたい、挑戦してみたいと思いました。2017年4月に内示を受けて同月に社長に就任しました。

よむよむ君と並ぶ堀内社長

「面白いもの」をどんどん提供していきたい!

――社長に就任されて、始めに取り組んだことは何ですか?

全国の店舗に足を運ぶことですね。しかも、大型店ではなく、本部の人があまり訪れないような小規模な店舗をまわりたいとずっと思っていました。

――どうしてですか?

「自信を持ってやろうよ」ということを伝えたかったからですね。だから店舗運営の視察というよりも、純粋に店長さん、スタッフさんの顔を見に行くという感じでした。例えば北は秋田県のBOOKOFF 7号能代店、南は福岡県のBOOKOFF 大牟田船津店といったように空港から車で2時間近くといったところまで、就任1年目に全国約150店舗をまわってあなたのお店の自慢を教えてくださいと尋ねました。

すると、最初は戸惑う店長さんが多いんですけど、「最近、文庫に力を入れています」とか「清掃を徹底しています」とか、ポツポツ出てくるわけです。その内容というよりは、とにかく自分たちの店舗の良さに気づき、自分たちの仕事に誇りをもってもらいたいという思いがありました。現場のスタッフさん一人ひとりが自信を持つことは、大きなパワーになる。逆にそれがなければ、ブックオフの再生も実現できないと考えていました。

――トップとして、これだけは実現したいということはありますか?

ひとつのブックオフ」ですね。ブックオフオンラインの社長を務めていたときから、店舗とオンラインがぶつ切りの状態で、うまく結びついていないと感じていました。たとえば、オンラインのお客さまのデータを蓄積してマーケティングに利用すれば、店舗への送客も効果的に行えるはずです。

以前は「オンラインの売上が伸びれば、店舗に足を運ぶ人が減って売上が減少してしまう」と感じる風潮があり、オンラインから見ると全国に店舗があるので思うとおりの宣伝広告が打てないというジレンマがありました。会員情報も店舗とオンラインは別々。お客さまから見ると同じブックオフだけど、運営する側が別々に考えていて、それぞれが一生懸命にやっていましたがそれはお客さまのニーズを満たしていませんでした。

ここ数年間でまずは店舗とオンラインの会員を統合し、会員アプリを開発。それを中心に店舗とオンラインのサービス連携を図りました。現在は、店舗の商品もオンラインに出品してもらうという仕組みができ、オンラインで注文した商品の店舗受け取りも実現しました。その結果として過去にあった問題も解決されてきています。

「店舗か、オンラインか」のどちらかではなく、店舗とオンラインが連携することで相乗効果を生み出し、お客様に対して最大の満足を提供する=「ひとつのブックオフ」という考えはようやく仕組みの土台が整ったところです。もっとサービスを追加すること、そして全国の店舗の皆さんに使い尽くしてもらうことで、会員数を増大させ、その価値を深めたいと思います。

これからのブックオフについて語る堀内社長

――もう一つ、事業計画のキーワードとして「個店を磨く」を挙げられています。これはどういうことですか?

地域のお客さまのニーズに合わせた、個性的な店舗づくりをしていこうということです。本、CD、DVD、ゲームといった中核商材の棚を磨くことに加えて、どんな追加商材が地域に合っているかを考えて加えていくこと、振り切った例でいえば、海辺の店舗であればサーフボードを並べた店舗もあります。独身世帯が多いところに家電を広げたり、子どもの多い地域におもちゃを増やしたり、各店長の裁量で柔軟な店舗設計を進めていきたいと思います。

ただ、それは必ずしも新しい商材に挑戦しなければいけないといことではありません。「本の質を徹底的に磨きます」でもいい。地域の特性を見極めつつ、店舗の長所を伸ばしていってもらいたいですね。

――店舗ごとに特色が出ると、さまざまな店舗をめぐる楽しさも出てきますね

ええ。ですがコロナ禍という状況もあって、実際に店舗を巡ってくれるお客さまが急増することはないと踏んでいます。そこで、ブックオフのアプリの役割が重要になってきます。

近い将来、全国のお店にある商品がスマホアプリ上で購入できて、自宅に配送されたり、店舗で受け取れたりという仕組みを整えたいと思います。全国約800店舗、約5000万点が手のひらのスマホで確認できて、いつでもどこでも手に入れられる。お客さまのニーズに最大限応えられるリユース市場を、ブックオフは実現できるのではないかと考えています。

ブックオフについて語る堀内社長

――リユースマーケットでは、ここ数年「メルカリ」をはじめとするフリマアプリが人気です。脅威ではないですか?

リユース市場は現在2兆円ともいわれ、年率10%以上で伸びています。その牽引役はフリマアプリということは間違いないのですが、ブックオフが属するBtoC の市場に限定して見ても、年3~5%で堅調に伸びています。

このことからも、フリマアプリとブックオフは対立するものではなく、役割分担しながらともに成長できるものだと考えています。たとえば、一人暮らしでブランドバックを売りたい方はフリマアプリのほうが高額で売れていいと思うかもしれません。しかし子育てに追われる主婦の方は、梱包や発送手続きの必要がないブックオフのほうが便利だと判断するかもしれません。

お客さまが、そのときどきでリセールの方法を選択するなかで、ブックオフはその存在を忘れられないことが大切です。そのためにもアプリなどを活用しながらお客さまとの接点を保ち、身近な存在であり続けたいと思います。

笑顔の堀内社長

――最後に2021年はどんな年になるのか、抱負を教えてください。

新しい時代の幕開けになると思います。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で、「耐える」「悩む」という1年でしたが、今年はその経験を踏まえたうえで、新しいものを生み出していくつもりです。

例えば、ボードゲームカフェやトレーディングカードのデュエルスペースを広げた店舗の実証実験を始めたり、「お片付け」のニーズに応えて便利屋事業をグループの中で立ち上げたりしています。ここ数年で蒔いてきた種を、2021年は一気に芽吹かせたいですね。

来年の話をすると笑われるかもしれませんが、1年後、「ブックオフって面白いことやってるねといわれるような一年にします。トレーディングカードの「ブックオフカップ」を開催したいとも考えています。ブックオフが進化していることを目に見える形でPRしていきたい。

「本」を核にどんどん価値あるサービスや面白いものを提供していくので、ぜひこれからのブックオフにご期待ください。

よむよむ君と手を取り合う堀内社長

TEXT:相澤良晃
PHOTO:宇佐美亮

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